香りが長続きする有機化学を駆使した分子
Controlled Release of Volatiles under Mild Reaction Conditions: From Nature to Everyday Products
Angew. Chem. Int. Ed. 2007, 46, 5836.
Andreas Herrmann
香りの構造の復習と避けられない問題点
前回の香料の話の続きです。前回読んでない人はぜひ読んでね!(香料の化学:香りの構造~トップノート・ミドルノート・ベースノート~)
前回記事にて、香り分子は揮発のしやすさに応じて、トップノート・ミドルノート・ラストノートに分けられ、それぞれに役割が異なることを説明した。
それぞれをちょうどいい量混ぜることで、調和の取れた香りとなる。しかしながら、それ故にどうしても避けられない問題点がある。
時間によってトップノートやミドルノートはベースノートに比べ揮発しやすいため、香りのバランスが崩れてしまうのだ。
図1. 香りのバランスの経時変化
これはギター、キーボード、ボーカル、ドラム、ベースで演奏されていた曲が、数時間後にドラムとベースのみになっているようなもので、ベストコンディションからは程遠い。香水をつける人なら、つけはじめの香りと、時間が経った後の香りが異なることを実感しているかもしれないね。
このように、数時間後の香り(残香)の設計はベースノート中心にしかなりえないため、少なくとも、かなり制限されてしまうことがうかがえる。
プロフレグランス:長続きするフレッシュな香り
香りのバランスを長時間保つためには、揮発しやすいトップノートやミドルノートに長時間発香してもらわねばならない。揮発しやすいのに、長時間持続させる、これは大きな矛盾だ。
この矛盾を解決するのが、プロフレグランスだ。
プロフレグランスは、香料分子とおもり分子を、何らかの刺激で開裂する結合でつなげた分子である。この分子自体は分子量が大きくなるので、揮発性が全くなく、香りもしない。ところが何らかの刺激で結合が開裂すると、元の香り分子が生成する。その結果、刺激に応じた発香や長時間発香が可能になる。
この時、カギとなる刺激というのは紛れもなく有機反応である。
図2. プロフレグランスの模式図
といっても、わかりにくいから実際に分子を見てみよう。
熱で香るプロフレグランス
下のような分子を加熱すると、脱炭酸を伴い、メントールとリモネンが発生する。熱をかける前は分子量が大きく揮発しないので全然香りがしないのに対し、温めるとすごくフレッシュな香りがすることが想像できるだろう。
図3. 熱で香るプロフレグランス
光で香るプロフレグランス
お次の分子はなんとNorrish II型の光開裂を利用したプロフレグランス。ただ香りを発するためにここまでするなんて・・・(^_^;
ちなみに発生するIononeはお花のねっとりした感じのにおいがします。
図4. Norrish type II を利用したプロフレグランス
次は光E/Z異性化を利用したプロフレグランス。熱力学的に安定なE体から光でZ体になった時、分子内環化反応がしてクマリンとアルコールが生成する。
図5. 光E/Z異性化を利用したプロフレグランス
かなりアクロバティックに思えるが実用化されているようでTonkaroseとして市販されているらしい。さすが世界の香料メーカーGIVAUDAN!しっかり研究してるのが伝わってくる~
水で香るプロフレグランス
保護基でおなじみにのケイ素だが、モノによっては勝手に水などで外れてしまう。これを逆に利用したプロフレグランスが存在する。
テトラアルコキシシラン系のプロフレグランスで、水と反応すると下の分子の場合、シトロネロールとオイゲノールというかなりいい匂いの組み合わせが発生する。
図6. ケイ素の加水分解を利用したプロフレグランス
ちなみに、保護基と同様に置換基のかさ高さや電子状態で加水分解速度(=持続時間)をコントロールすることができる。こんなケイ素の応用あるのね。すげぇな。
香りに注がれる驚異的情熱
香りは普段あんまり意識しないものだが、我々の身の回りにある日常品の香りには、驚くほどの労力が注ぎ込まれている。
よくよく考えると、シャンプーとかの香りって神がかったいい匂いだよね。
香りは思った以上に、直観や無意識に働きかけるので、「商品の見えない顔」といってもいいのだろう。
そして、ちょっとでもいい香りをより長く楽しんでもらうために、化学者は結合の生成・開裂を利用したハイテクノロジーの結晶「プロフレグランス」を生み出した。
香りのためにそこまでやるの!?と思いそうになるが、どれほど香りが人々の豊かな生活に欠かせないかの証明であるようにも思える。
今一度、身の回りの製品の香りを味わってみてはいかがかでしょうか?
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